<   2008年 01月 ( 24 )   > この月の画像一覧
事件分析(親族2人強殺 松村被告)
京都府長岡京市と神奈川県相模原市で昨年1月、親族2人を殺害し、現金を奪ったとして、強盗殺人の罪に問われた住所不定、無職、松村恭造被告(26)の論告求刑公判が30日、京都地裁(増田耕児裁判長)であり、検察側は「人間性のかけらもなく更生など不可能」として死刑を求刑した。

松村被告は意見陳述で、「事件の最大の原因は自分のエリート意識。自分は特別な存在だから何をやっても構わないとの考えが根底にあった」と説明。事件を起こしたことについて「全く反省していない。遺族を悔しがらせることができてうれしい」などと述べた。
「自分は理不尽な目にあった」「より罪を重くして自分を追い込みたかった」とも言っている。

(http://dailynews.yahoo.co.jp/fc/domestic/murder/?1201697482 YAHOO!ニュース より)


「自分は特別な人存在」という松村恭造被告。

まったく心が育っていない、母親が何も手をかけず世話していないはず。

フロイトのいう口唇期欠損である。

口唇期とは、口と唇の刺激が心地よく、快感を求める0~1.5歳の時期である。

この時期に心地よく母のおっぱいなりミルクを飲み、適切に世話され満足感を味わっていないと、そこに欠損・欠如感が生じる。

以後この人は口唇の満足を求め続けることになる。

その最たるものが、アルコール、覚せい剤など。(三田佳子さんの二男も同じ)

アルコール・覚せい剤に依存し続ける、それは母に依存し続ける講口唇期のあり方そのものである。

依存とは人に甘えることであり、口唇期欠損者は、依存と甘えの行動をとる。

その一つには、自分がこうなるのは全て他者が悪いと思う。

自分の快不快は他者に依存しているから、自分を心地よくするのも不快にするのも他者である。

悪いのは外、他者であり、自分は悪くない、間違っていないという独善論にいたる。

このことと、甘えがいろんな構造を生み出す。

甘えとは、みんな自分を許してくれる、自分だけは特別だ、自分を嫌っているはずはない、何でも自分に与えてくれるはずだと思い込む。

松村被告の「自分は特別な存在だから何をやっても構わない」という言葉はそのものである。

「自分は理不尽な目にあった」とも言っているため、納得のいく世話などされていないだろう。

理不尽に自分を否定され、要求を満たされず、なんで自分だけこんな目にあわなければいけないんだと思っている。

自分がこんない理不尽な目にあっているんだから、人を理不尽に殺しても何の罪意識も持たない。

それ以前に、彼はもう主体性を認められず精神的に殺されてきているのだから。

適切に世話をし、やさしく育てましょうという。

それは、思いやりや配慮、愛情をかけられることによって、情緒性が育ち、人の痛みのわかる、思いやりのある人間に育つからである。
[PR]
by lacan_msl | 2008-01-31 09:16 | 事件分析 | Comments(0)
2月分析理論講座日程のお知らせ
2月は12日(火)と24日(日)の2回分析試論講座を開きます。

12日(火)と24日(日)、両日とも

時 間 : 午後1:30~4:00

場 所 : 京都市伏見区深草フチ町14-103 ラカン精神科学研究所

参加費 : 3000円(テキスト代含む)

講座内容は、分離固体化の過程 (1) 正常な自閉期  (2) 共生期

 分離固体化の過程は非常に大事で、ほぼこのことの失敗、障害により多くの人は子ども時代、いや赤ちゃん時代に固着し留まっており、病理へと移行していく。

興味・関心のある方は下記へお問い合わせください。

℡  050-1035-4401 または 075-644-8126   

メール lacan_msl※yahoo.co.jp(迷惑メール防止のため、※を@に変えてください)
[PR]
by lacan_msl | 2008-01-31 00:08 | 教室・講座のお知らせ | Comments(0)
インテグレーター養成講座(自己愛論Ⅱ 自己愛の構造)より
第六回インテグレーター養成講座の内容より、質問のあった箇所を一部抜粋し解説します。

<講座テキストより>
自己意識によって自己像をとらえられない段階においては、自己像を他者の眼の中に発見する以外にはない。
その起源は母のまなざしの中にある。

<解説>
母は自分の子どもに、こういう子になって欲しいと、自分の理想を子どもに投影する。

子どもは母のまなざしの中に映った自分、母が思い描いたイメージを自己像として受け取る。

本来自己像とは、自分でつくらなければいけない。

こういう人間になりたいと、子ども自身の象徴界(言語)でつくった自己像であるべきである。

例えば、3歳は3歳なりに言葉を使い、これが欲しいという自己像を持っている。

ところが子どもが、「あれも、これも、それも欲しい」というと、母は「どれか一つにしなさい」と言う。

すると、本当は3個欲しいのに、1個を選ぶ自分が母親が自分に求めた自己像となる。

そして、それを自分の自己像にしなければならなくなる。

そうしなければ自分を受け入れたもらえないから。

こうして、3個を選ぶ自分は排除さる。

これは子どもにとっては不本意。

「3個欲しい」といって、母が「いいよ」と言ったときには、自分の欲求と一致し、「私は3個欲していいんだ」となる。

この一致の喜びが子どもの自己愛を形成し、その再現を求め、一致は繰り返されて自我が形成されていく。

子どもに健康な自己愛をつくるのも、親の子どもに対する 『 ALL OK 』である。


子育て中のお母さんにいうのは、子どもへの対応法 『 ALL OK 』

頭でわかっていても、それがなかなか実行できないと言われる。

それはよくわかる。私自身がそうだったので。

それでも、分析により自分を知っていくうち、できていく。

もちろんそれには個人差があり、私などは大変な時間がかかったが。

理論的にかみ砕いて説明してもらうことも、私はとても良かったと思う。

今またこうしてクライアントに解説しながら、あらためて 『 ALL OK 』の意味をかみしめている。


ラカン精神科学研究所ホームページ http://lacan-msl.com/contents.html
[PR]
by lacan_msl | 2008-01-30 22:37 | 理論解説 | Comments(0)
分析家の独り言 60 (三田佳子さん二男に懲役1年6ヶ月実刑判決)
芸能人の大麻・覚せい剤の事件が度々報道される。
高橋裕也被告は三度目の逮捕。
そのたびに女優で母親の三田佳子さんは謝罪してきたが、その謝罪の言葉がどうも対外的なもので心に響かないのは私だけだろうか。
世間を騒がせたことへの謝罪なのか。
「検察側は約1年半前から覚せい剤の使用を再開したと指摘し、自宅での薬物使用を見過ごしており、両親の監督下での更生は期待できないと実刑を求めた。」と記事にあった。
確かに、両親のもとでの更正は難しいだろう。
かといって、実刑に処し、一般社会から隔絶し、覚せい剤に触れないようにすれば更正できるかといえばそうではない。
鬱などの精神的病理も見られるようで、それを精神科の薬を処方する治療法によって治るとも思えない。
育ってくる過程で、薬物依存や鬱などの病理の種をつくってしまたのだから、養育者(普通は母)が育て治すのが一番良い。
本気で母親である三田さんが、息子である裕也さんを育てなおす気があればできるが、それには大変な労力、気力・体力がいる。
女優の職を辞してでも、この子を何とか人として自立できるようにしたいという強い思いがあればできる。
そこまでの覚悟があるだろうか。
また、覚悟があったとしてもその方法を知らないだろう。
三田さんに限らず、世間一般に精神発達論や精神分析、育てなおしの理論と方法などが知られておらず、いつも残念に思う。
全ては、子どもへの関心、愛着、思いやり、配慮、それらが子どもの心を開き、回復させる。
そういうものをかけられた子は、また人に与えることができるようになる。
親が対応できなければ、本人が覚悟を決めて、自力でやるしかない。
精神分析のめざすところは人間解放(心と身体の解放)と、最後に愛を解くという。
[PR]
by lacan_msl | 2008-01-29 20:45 | 分析家の独り言 | Comments(0)
2月(京都)母親教室追加日程のお知らせ
2月は4日(月)の他に、もう1回母親教室を開催します。
日 時 : 2月14日(木)AM10:00~12:00
場 所 : ラカン精神科学研究所(京都市伏見区深草フチ町)
参加費 : 500円
日常子どもさんへの接し方、非行、不登校、ひきこもりなどなど、子育てのするなかでの悩みや迷うこと、わからないこと話しながら、解決していきましょう。
子どもさんの年齢に制限はありません。
℡ 075-644-8126 または 050-1035-4401   [e-mail]
[PR]
by lacan_msl | 2008-01-29 09:05 | 教室・講座のお知らせ | Comments(0)
分析家の独り言 59 (振袖)
私事だが、今日下の娘と振袖を見に行った。
上の娘は3年前に成人式で、振袖を買って欲しいと言ったので一緒に買いに行った。
下の娘は今年成人式だったが、式には出ない、でも振袖を着て20歳の記念に写真だけ撮りたいと言った。
その着物もレンタルでいいという。
当たり前だが、姉妹でもそれぞれ考え方、したいことが違う。
兄弟姉妹を平等に扱うことが大事。
しかし、その平等とは、同じものを与え、同じことをすることではない。
その子の要求通りに応えること。
例えば、2歳、5歳、8歳の兄弟がいたとする。
平等にすることがいいことだからと、それぞれにイチゴを1パックずつ与えることが、平等にすることだと思っている人も多いのではないか。
8歳の子はイチゴ1パックを食べられても、2歳の子には食べられない。
それ以前に、2歳の子はイチゴではなくバナナが欲しかったかもしれない。
その子が欲しい物を欲しい分だけ欲しいときに与えること。
クライアントのなかに、兄がテレビが欲しいといい、弟である自分は別に欲しくはなかったが、親が勝手に自分に聞きもしないで、ある日突然テレビが自分の部屋に来たという。
特別欲しくもなかったが、まぁくれるというのならもらっておこうかと思った。
そういうことが多々あったという。
親はそれで、「あれもしてやった」「これもしてやった」と言う。
ところが、子どもの側からすれば、自分が欲しいと言っていないものを勝手に与えられても、してもらったとは思わない。
こういう行き違い、親の思い込みは結構ある。
だからいつも言うが、ALL OK。言われないことはしないこと。わからないことは子どもに聞くこと。
子どもが言わないことまでして、過保護・過干渉することは、支配であり、攻撃となる。

下の娘が自分の好みの振袖を選んでいるのを見て、自分のときのことを思い出した。
私のときは、どの着物にすると聞かれたこともない。
母が気に入ったという帯が来て、次にこの「着物でいいね」と言われた。
しかも、母が本振袖ではなく、中振袖にして(振袖の長さが中振袖は短い)、それを一人でいつまでも悔やんでいた。
その振袖は、成人式と大学の卒業式の2回着た。
よほど中振袖にしたことが悔やまれたのだろうか、ある日また違う振袖と帯が来た。
もちろん、私の好みとは関係なく。
私は私の意志を聞かれることはなかった。
自分の好み、意見を言うことも、私の辞書の中になかったのか。
親に言われるまま、自分を待たず呑み込まれていた。
そんな私が、娘二人のそれぞれの要求に応えられたことがうれしかった。
そして、親への憎しみももう出てっこなかった。
客観的事実として冷静にみている自分がいる。
[PR]
by lacan_msl | 2008-01-28 00:13 | 分析家の独り言 | Comments(0)
分析家の独り言 58 (鬱と言語化)
分析は無意識に気づくこと。
無意識であるから、本人にはそれがあることさえわからない。
フロイトがいうように、夢分析等によって、無意識を意識化する。

私は、子どもの頃から友達なんか面倒くさい、一人のほうが気が楽と思ってきた。
ところが、分析を受けるうち、本当は人を求めていた自分、いつも一人でさみしかった自分がいたことを知った。
分析の過程で、なんともいえないさみしさと、何ものを持っても埋められない虚しさを感じ、鬱寸前までいった。
甘えを抑圧してもいた。
甘えは関心をむけられること、世話されることを目指す。
それには病気になること。
これを疾病利得という。
病気になることによって、「大丈夫?」と声をかけられ心配され、甘えられる。
重病であればあるほど、人の世話が必要となる。
病気になることによって、普段はできないが、その人に甘えられるという利益が発生する。
私は分析を積みかなせていたおかげで、疾病利得を使わず、病気という身体化にも至らなかった。

クライアントに二通りあり、分析対象者と、教育対象者がいる。
純粋に分析ができる人は少なく、ほとんどが教育対象者。
教育対象者とは、言語以前の欠損が大きいため、意識化を目指すというより、まず支持することが主となる。
クライアントに共感し、信頼関係を作り、クライアントがなんでも話せるようになること。
そういう意味では、鬱は語れば語るほど落ち込んでしまうため、鬱には精神分析はむかないと言われることがあるが、支持するという方向で行うことは有効である。

私の場合でいえば、何ものでも埋められないさびしさ、虚しさの中、もがき苦しんだが、そんな中でも何とか浮上できる方法を一生懸命考えていた。
それは言語化の道を模索したことであり、結果それによって抜け出すことができた。
抜け出してしまえば、あれはなんだったんだろうと思うくらいなのだが、その最中はどうあがいても抜け出せないのではないかと思うくらい苦しいのである。
それまで積み重ねた分析が、言語化への道を開いてくれた。
言語化することによって、行動化、身体化に至ることはなかった。
[PR]
by lacan_msl | 2008-01-26 22:36 | 分析家の独り言 | Comments(0)
金谷氏今月のメッセージ 平成20年1月
(以下は分析家仲間の金谷氏のHPにある金谷氏の今月のセージを私のブログで紹介しているものです。)

年が明けて2008年になりました。

「心理学」と言う学問に出会って20年が過ぎました。
波乱万丈、激動の日々を過ごしてきましたが振り返った時、この20年間が人生の中で最高に学べた時期だと思います。
人間にはまったくと言っていいほど自分の知らない世界がある。
そしてその世界にこそ、悩み苦しみの原因が存在しているその精神世界を知ることが出来たのは、この上ないしあわせです。
今や知って行くと同時に伝えて行くと言う立場も味わいながら、共に心の世界を解明して行く「精神分析」が出来るまでになり、生きている事の喜びと、成長していくすばらしい子供達を見ることもこの上なく幸せだと感じています。
 年が変っても相変わらず、親が子供を殺したり、逆に子供が親を殺すと言う何とも哀しい世界を見なければいけないのは、実に不幸です。
 私達は、15年も前からこの原因を叫び続けていますが、残念なことにご理解頂けず分かっていただける人が私のクライアント以外にいないと言う事は、無念であります。
しかし、私達は諦めることなくこの「ラカンの精神分析と理論」を伝えて行く事は、一生の仕事として、やり続けて行く決意をしています。

精神分析は世間では、ほとんど知られていない。又は説明しても理解していただけない。
理解していただけない大きな理由は「心は見えない」からです。
 心理学は見えない心を言葉で説明する学問で、解ると言う事は頭でするのではなく、解ったと感じるものである。
感じて解った事を言葉にした時、霧が晴れたようにすっきり軽くなるのは、味わった者だけにしか分らない。
 20年前の自分を言葉にしたら「傲慢で無智・強欲・自分さえ良ければ他人はどうでもいい」と自分の考えや意見中心に生きていた。
この心理学・分析に出会ってなければとんでもない人間になっていたであろう。
その私に分析は教えてくれました。何物にもこだわる事無く大きな広い心で物事を捉え、良い悪いではなく、何が自分に必要か、何が益になるかを見極め、自分の物にしていく
それも自分だけではなく、他人も同じ人間であるので自分と同じく尊重するのであると知り得た。
この言葉を表したものがインテグレーターネームであり、これは世間で言う所のカウンセラー・サイコセラピスト・臨床心理士と呼ばれているのと同じで、我が恩師が現した資格である。
どれも国家資格ではない民間団体が独自で名乗っているもので何の効力も無い。
しかし、我々が使っているインテグレーターネームは資格と言うものには拘らず、精神分析が出来るか否かを見極める事を重視する、それは自らの精神が統合されていないと出来ないからです。
すなわち「統合者」でなければ分析は出来ない。その意味で「インテグレーター」を資格として使っています。
 昨年までは、過去に知り得た自分を現す「諸法皆空」と名乗っていたが、昨年私の父の言葉「真実一路」に出会った。私は父を越えるべくこの言葉を越える言語を得た。
その言葉とは、「真理攫取・しんりかくしゅ」=真理をつかみとる。
わが道はこれだと確信してこれを今年より私のインテグレーターネームにしました。
父は手記で「その親の親の親にも似る無かれ」と残していたが、その意味は、親を越える人間になれと言う父の私への願いであったことが分った。
33歳と言う若さでこの世を去ってしまった父の為にも「真理攫取」で生き抜いて行きたいと意を強くしたしだいです。

金谷精神療法研究所



インテグレーター 真理攫取(金谷章吉)
[PR]
by lacan_msl | 2008-01-26 00:07 | 金谷氏の今月のメッセージ | Comments(0)
2月 子の「非行」に悩む親たちの会(京都)日程お知らせ
毎月第二金曜日の夜に、非行の子どもさんの問題に悩む親御さんが話しをする親の会が開かれています。
一人で抱えているのはしんどいもので、話をすることで楽になることがあります。

日時 : 2月8日(金) 午後6:30~9:30
場所 : 親と子の教育センター(京都市左京区聖護院川原町4-13 京都教育分化センター内 1F)
会費 : 500円

お問い合わせは、
  電話 711-1150(勝見先生)または、ラカン精神科学研究所 天海まで
[PR]
by lacan_msl | 2008-01-26 00:06 | 地域の取り組み | Comments(0)
分析家の独り言 57 (心と体、ぜんそく)
ぜんそくは母への叫びである。
それを裏付けるような記事があった。
「子供の幼少期に母親のストレスがたまっているとその子供がぜんそくになる可能性が高まる-。カナダのマニトバ大学のコジルスキー准教授らの研究チームは『米呼吸器・救命医療ジャーナル』誌の最新号でこんな研究結果を発表した。・・・母親の抑うつ状態が長期間続いた場合、それがなかった母親に比べ、子供が7歳時にぜんそくになっている確率が1.6倍にも上昇したという。」
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080117-00000115-jij-int (Yahoo!ニュースより)
「おかあさん、こっち向いて」 「おかあさん、抱っこして」 「おかあさん、甘えたいよ」
子どもは、おかあさんに言いたいことがたくさんある。
けれどもそれが言葉にして母親に言えないと、言葉にならない言葉が咳きとなる。
この記事にあるように、母親ストレスを抱えていたり、抑うつ状態などのであれば、当然子どものこと関心を向けることができなくなり、結果子どもは母親に見捨てられたと思うだろう。
イライラしている母親、元気のなさそうな、ふさぎ込んでいる母親、それらを子どもはみていて、今母親に何かを言えそうにない、頼めそうにない、甘えられそうにないと思い、我慢し黙ってしまう。
それが度々または、長期にわたれば、身体化されぜんそくになる。
大人でも、ある中年のクライアントが、突然ぜんそくとなった。
肺癌をうたがい、病院へ行き検査をしたが、器質的に問題はなかった。
そこで、「田舎に帰ってお母さんと過ごしてきてください」と分析者は言った。
クライアントは母と一緒に布団を並べて寝たという。
そしてぜんそくはとまった。
[PR]
by lacan_msl | 2008-01-21 08:31 | 分析家の独り言 | Comments(0)