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分析家の独り言 132 (分析の効果:幸せを感じて)
子どもの問題で分析に来たクライアント。

子どもに「オールOK」で対応し、子どもの問題は解決した。

今度は夫婦の問題が見えてきた。

離婚を考えたこともあったという。

夫は協力する相手ではなく、戦う相手だった。

若い頃は強さを求めて、仕事やお金を求めた。

誰も頼れない家で環境で育てば、そうならざるを得なかった。

それが相手のいいところを生かすために、自分が変化し続けたらいいにかわった。

自分は頑張ってる、自分は正しい、外が間違っているが、逆転した。

また周りは正常と思っていたいが、おかしいこともたくさんあることに気づいた。

子どもに「オールOK」したことで、ぶれていた自分に気づき、修正していった。

自分を検証しなおし、いくつ目かのカードをめくったとき落ちた。

そんなに相手を責めなければならない私って何者か?

それは自分を認めて欲しいということ。

相手に自分を認めて欲しいと思わなくても、私は私でいいじゃないか。

自己肯定が芽生えた、と同時に他者肯定が始まったのだろう。

幼い頃に愛され、適切に世話されていたら、こんなに苦しい思いはしなくて済んだだろうに。

それでも人は気づいたところから生き直せる。

生きながら、4~5回生まれ変わったくらいの感じがするという。


はじめクライアントは子どものことで悩み分析にくるが、それが落ち着くと、今度は自分のことに取り組むことになる。

自分とは何者か? 何のために生まれてきたのか?生きるのか?などなど・・・

そうするうちに、ものの見方、感じ方、考え方が変わってくる。

ペラペラだった薄っぺらな自分に厚みが出てくる、生きる楽しさが感じられる、心豊かになる。

この感覚を知らずに生きて、真に生きたといえるだろうか。

それをもったいないと思うのは私だけだろうか。


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by lacan_msl | 2008-08-25 22:33 | 分析家の独り言 | Comments(0)
08年 第9回夏季那須分析サミット開催
毎年夏恒例、我々のスーパーバイザーである大沢(惟能 創理)氏主催の那須分析サミットが8月31日(日)開催される。

個人分析並びに教育分析、理論を学び、分析家として活動している仲間が年に一度集まり、食事会や研修会が行われる。

今回のテーマは『インテグレーター(分析家)の使命と役割』

サミットの内容等については、またここで紹介したいと思う。

一年に一度仲間と直接出会い、日ごろの様子などを話し、仕事にプライベートにまたさらに頑張ろうと思える刺激を受ける。

違いを認めつつ、分析という同じ志を持つ仲間がいて、情報を交換し、助け合ったり教えあったり出来る関係がある。

私にとっての財産である。


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by lacan_msl | 2008-08-25 08:53 | 各会のお知らせ | Comments(0)
分析家の独り言 131 (変容・成長)
あるクライアントの語り。

これまで事あるごとに相手が悪いと思ってきた。

分析に触れるうち、相手が悪い、相手がおかしい、相手が、相手が…と思ってきたが、もしかするとそれは私の問題かもしれないと思いだしたという。

例え、相手が「悪かった」と謝ったとしても、それは自分を怒らせないためでしかないのでは。

相手を責めるのではなく、私は私と向き合うしかない。

相手は自分の思う通りの人間ではない、だから違って当たり前。

夫であろうと、自分の思うとおりには動かない。

自分が弱いからせめて夫くらい思い通りにしたい、自分を理解して欲しい。

自分の価値に合うから大事なのか?

合わなければ大事ではないのか?

自分に色に染めたいといのは、幼稚なこと。

自分と違う価値を持った人を尊重しようと思った。

また、何でそのことに腹がたつのだろう、それは相手に謝らせたい、そうしないと気がすまない自分がいる。

これを自分の問題だと受け止めたときに、自分のなかに変化がおきるのではないか、それを力に変えられる。

何か心にひっかかった時には、なぜ自分がそう思うのかを考える。

今までとは違う感覚の自分になった、私は私を生きていいんだ、という。

確かにクライアントは変わった。

多くは、人の一面を見て「真面目な人」だとか、「不真面目な人」だとか「面白い人」だとかレッテルを貼りたがる。

分析は、人は変容し得る、という視点にたってクライアントのそのとき、そのときを見る。

クライアントの変容と成長の過程を見られる、それもまた我々の喜びである。


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by lacan_msl | 2008-08-21 22:59 | 分析家の独り言 | Comments(2)
分析理論講座の日程(平成20年09月)
平成20年09月、下記の日程で分析理論講座をひらきます。

日時 :  9月11日  13:30-16:00

場所 :  JR京都駅付近(詳しくはお問い合わせください)

費用 :  3,000円 (テキスト別途 1冊1,500円)

講座の内容は、「肛門期の心の発達」

依頼があればクライアントの御自宅や最寄の駅周辺の施設(ホテルのロビー、ファミレス)等へ出張が可能です(交通費別途)。

現在、京阪神(京都市、大阪市、神戸市)、福岡県福岡市(月1回3日間)等へ出張しております。

独自のテキストをもとに症例などを入れながら、精神分析の理論をわかりやすく解説します。

子育てする上で、また人間を理解するために役立つ理論です。

子育て中の方、結婚前の方、男女を問わず知っておいて欲しいことがたくさんあります。

興味・関心のある方、参加希望の方は下記へご連絡ください。

電話:077-500-0479

携帯:090-7357-4540

メアド:lacan_msl☆yahoo.co.jp ☆を@に変換したメールアドレスにメール送信願います(スパムメール対策)。
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by lacan_msl | 2008-08-19 22:30 | 教室・講座のお知らせ | Comments(0)
分析家の独り言 130 (無意識)
フロイトは日常生活の現象の中でおこる錯誤(失策、しくじり)行為に、無意識を発見した。

その代表的なものが、「度忘れ」「言い間違い」「貴重品の喪失」「思いがけないヘマ」などである。

これらは、その背後にあるもう一つの意識(意図)が抑圧を打ち破って行為化されたものである。

例えば、度忘れは、やりたくないことを頼まれて忘れてしまうとか、思い出したくない人や地名を忘れてしまうなどがそうである。

ある会議の議長が、その会議を開きたくなかった。

それで、「開会します」と言うところを、「閉会します」と言ってしまったという。

私が書いた昨日のブログ、分析家の独り言(理想化の落とし穴:ありのままの自分になる)にも錯誤行為があり、苦笑した。

ブログの文章の後半に「〇〇大学の付属小学校、中学の征服を着た我が子は、母親の自己愛を満たす。」と書いた。

この文章のなかの「征服」は、本当は「制服」である。

この漢字の変換の間違いを、知人に指摘されるまで私は気づかなかった。

この間違い、しくじりの裏にあるもう一つの意識は(無意識)は、私が小学校、中学校時代征服されていた、支配されていたということ。

それは親に、である。

私は分析において、そのことを散々思い知らされ、その通りと納得したはずだったが、まだ受け入れきれず、その残骸というか、残りかすがあった。

まだどこかで少しくらいは親に支配されず、自分を持っていたと思いたいのだろう。

親に征服されていた自分をしっかり自覚しないと、無意識に他人を征服したくなる。

同じ間違いは、自分が味わった苦い思いを、他者にさせてはいけない。

こうしてまた自分を知らされた。

人と人の関係は、征服するでも、征服されるでもなく、平等で対等な関係を築くことである。


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by lacan_msl | 2008-08-19 22:29 | 分析家の独り言 | Comments(0)
分析家の独り言 127 (理想化の落とし穴:ありのままの自分になる)
自分が受け入れられない現実の母(分析家の独り言 理想化の落とし穴:良い母子幻想 の母)は、その人の精神内界において抹殺されている。

現実の母を抹殺=消した、その空白になった場所に入るのが理想的母。

いったん居座った理想的母はなかなか立ち退かない。

分析によって語ってもらい、本当の現実の母はこうですよと見せ、本人もそれを理解すると理想的母は立ち退く。

自分がつくった理想的母は幻想だったと気づく。

それとともに同じく幻想の理想的自分も消え、ありのままの自分になっていく。

結局、自分は背伸びをして、良い人、良い母を演じていたことに気づく。

それに子どもまでつき合わせていた。

だから子どもは世間でいう「良い子」でなければならなかった。

子どもにすればいい迷惑である。

躾まくり、勉強、勉強という母親に多い構造であろう。

〇〇大学の付属小学校、中学の征服を着た我が子は、母親の自己愛を満たす。

私もその道を行かされたために、娘たちもまたその道を歩かせるところだった。

私はいつも思う、勉強もいいがそれより大事なのは生きる賢さ。

精神の未熟、本当の意味での無知ほど恐いものはない。


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by lacan_msl | 2008-08-18 21:40 | Comments(0)
分析家の独り言 128 (理想化の落とし穴:良い母子幻想)
例えば、現実の母が、自分勝手で怒りっぽく、だらしがなくて、口うるさく、外面はよく人には親切にするが、家庭の中ではわがままで言いたい放題だったとする。

そういう母に育てたれた子は、常に「もっとこういう母だったら…」「こんな母だったらいいのに…」と思うだろう。

現実の母とは逆に、理想的な母親を想い描き、この理想的母を追いかけることになる。

心の中に内在化されているのは理想的な母イメージとなる。

その理想的母に見合う自己イメージも理想的良い子となる、しかしこれは実態を持たない。

こうだったらいいにと想い描いた架空の理想的母像であり、理想的自己像である。

この人が子どもを生んで母親になったら、その子はまた理想的良い子でなければならない。

そうすると、この我が子を自分が思うような理想的良い子にするため、厳しく、時には叩いても良い子にしたくなる。

もちろん勉強も出来る子でなければならないため、養育ママとなるだろう。

しかし実際には、子どもは母親の言う通りには動かない、つまりこの母にとって悪い子。

この子が悪い子であると、母の内的理想的イメージは壊されるため、是が比でも我が子は良い子でなければならい。

我が子が良い子でなければ、悪い母だと言われているように聞こえ、自分は否定されるように思い、腹が立つ。

このため子どもに良い子を押し付け、強制し、叩くなどの虐待に至る可能性も大きい。

これが教育ママになって子どもを怒りまくる母親の心の構造の一つである。

分析において、この現実とは逆の理想化した母を追いかけていることに気づき、現実の母を語る。

その時点から、心の中の理想的母は生きられなくなる。

理想的母とそれに見合う自分としてつくった理想的自分もなくなって、大したことのないありのままの自分になる。

そうすればもう子どもを躾まくり、怒ることもなくなる。

どうせ自分もそれほど大した人間ではないのだから、理想化した良い子など求めなくなる。

私もこれをしていたなと思う。

子どもが小さいうちは親の力でねじ伏せも出来るが、それは不幸な結果に至る。

今一度自分を振り返ってみてはどうか。


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by lacan_msl | 2008-08-17 21:23 | 分析家の独り言 | Comments(0)
分析家の独り言 127 (生きにくさを抱えていた日々)
子どもたちは夏休み、私の住むまわりからも子どもたちの声が聞こえる。

と同時に、残念ながらお母さんが子どもをしかる声も聞こえる。

それは街を歩いていても、どこかの通りを歩いているときにも、自然耳に入ってくることがある。

それがたまたま娘と一緒に歩いているときであると、「あんたも昔、あほみたいに怒ってたよな」などと言われる。

確かにそうだった。

いつもイライラしていて、些細なことで娘たちに怒鳴りちらしていた。

子どもは自分の思うように動くもの、私の言うことをきいて当たり前と思い込んでいた。

私自身が親にそう育てられ、それを無意識にまるでレコードが回るように、されたことを再生していたのだろう。

子育てにも悩んだ。

今、娘たちを怒ることはまずない。

逆に、私が怒られることはあっても(苦笑)

私が言われた通りに動かなかったり、言われたことを忘れていたりして。

そういえば若い頃、自分はなぜ些細なことにいちいちこんなに引っかかるのだろうと思った。

流せばいいのに、心に何かが引っかかり、いつまでもそれにこだわる。

日々そんなことが積み重なっていくと、心が重くなり、とても生きづらかった。

当時は、こんな風にも思えず、何か自分は人とは違うのだろうかと思い、他の人は楽しそうに過ごしているのに、私はいつもしんどさを抱えていた。

今、そういうしんどさを感じていたなぁと、懐かしく思える。
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by lacan_msl | 2008-08-16 21:17 | 分析家の独り言 | Comments(0)
分析家の独り言 126 (二つの世界に生きる)
人は二つの目を持つ。

一つは現実を見る目、これは光学的に世界の事象を見る目。

もう一つは、自分の内的世界を見る、いわゆる心の目とでもいう目。

例えば、愛着を持った対象=母が亡くなったとする。

現実に母はもう死んでしまい、この世にはいない。

ところが、心の中に映し込んだ母が心の中で生きている。

この内的世界を見る目にとらわれると、現実とのギャップが生じる。

内的目で母の死を見つめ、心の中に整理をつけ始めるのは現実に区切りがついたときである。

それは例えば仕事が終わったあと、ホッと一息つく瞬間であったりする。

現実を忙しくして、内的な目をつぶれば、母の死という悲しみは襲ってこない。

これが一つの防衛法である。

隙間なくスケジュールを入れ、忙しくしている人は、何か内面に見たくないものを抱えている可能性が大きい。

例えばまた逆に、内的世界に自分を襲ってくる迫害イメージを持っていたとすると、それに襲われないようにいつも現実に目を向け、現実にとらわれるようにしておく。

この方法で複雑な操作をしているのを神経症という。

内的世界と現実を常に混同しながら、それにとらわれ、脅えている状態である。

その人の中に何がとり入れ内在化され、何が映し出されているかが非常に大事である。

分析はこの心の中の世界に映しこまれたイメージ、絵を読み取ること。

人は外的世界と内的世界を交互に、また並行して、錯綜しながら経過していく。

これがはなはだしくなり、現実と内的世界の境界がなくなってしまった場合、妄想に至る。

これは外的世界と内的世界が重なってしまう、自我境界の喪失を意味する。

通常我々にはこの自我境界がある、精神を病んだ人は、この境界が曖昧であるか、またはない。

その行き着く先は、精神内界で起こっていることに確信を持ってしまう。

すると、「自分を殺しにくる」「自分はねらわれている」「人が自分を攻撃してくる」「自分は嫌な臭いを出していて、他人に迷惑をかけている」などと言う。

それは現実を見ているのではなく、その人の心の中に映し出されたものをみているのだ。

こういう心の構造を知っていれば、なんでこんなことを言うのだろうとは思わす、それなりに理解できる。

人の心の構造を解き明かし、理論的にすっきり説明できることに興味を持つ分析家とは、奇妙な存在かもしれない。

それとともに、そこにはヒューマニズムがあると私は思っている。


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by lacan_msl | 2008-08-16 21:13 | 分析家の独り言 | Comments(0)
分析家の独り言 125 (企業の6割「心の病気で社員1ヶ月以上休職」)
企業の6割「心の病気で社員1ヶ月以上休職」という記事があった。
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/living/health/142419/

鬱病(うつびょう)や統合失調症など、メンタルヘルス(心の健康)に問題を抱え、1カ月以上休職している社員がいる企業の割合が約6割に上ることが、民間調査機関の労務行政研究所(東京)の調査で分かった。休職者は働き盛りの20~30代で増加が目立ち、1カ月以上の休職者がいる率は企業規模が大きいほど高率になる傾向がある。という。

また、「人を育て、仕事の意味を考える余裕がない」会社ほど、心の病の増加を訴える傾向が強いことも確認された。
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/169152/

当研究所にも、うつ等心の健康を崩し、仕事に支障が出た方がこられている。

企業としても、社員が心身ともに健康で働ける環境や、そのための支援策を考えることが大事であろう。

記事にも「従業員の健康づくりでメンタルヘルス対策を重視する企業は63%で、6年前の調査の33%からほぼ倍増し、企業の危機感の高まりが読み取れる。」とある。

いつもいうことだが、体の病気に対して予防医学があるように、心の病に対しても予防が必要だろう。

人は負い目と責任感の強さと、そこからくる完全主義と執着心があるとすぐに落ち込み、うつは長引く。

それに気力がでないとか、無気力感があると自殺企画に至る。

自分を知っておくこと、もっというなら、うつ(うつに限らず、様々な心の病)の種は誰しも持っている可能性がある。

それを発症する前から、予防しておく。


自分のことで言えば、分析により自分を知らなければ、もうとっくにこの世から消えていただろう。

子育てに悩み、夫婦・家族関係に悩み、自分自身に悩み・・・ うつか、自殺か。

ぎりぎりのところで自分を救う道に入っていった、振り返るとそう表現するしかない。

話が少しそれたが、企業の経営者の方々、社員のメンタルヘルスを考えてみられてはどうか。

心を病む人は、残念ながらこれからも増えると思う。


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by lacan_msl | 2008-08-13 15:22 | 分析家の独り言 | Comments(0)