分析家の独り言 250 (自己分析による気付き)
分析家の独り言 249 (8月京都子育て相談室より:私のオールOK失敗談)を書き、気付いたことがあった。

なぜ私は娘にオールOKしきれなかったのか、なぜ自分の都合で仕事を優先してしまったのかを考えた。

娘に責められたとき浮かんだ「私が仕事をしなければ生活できないでしょ、それをあんたはわかっているの?」という想い。

私は娘を食べさせてやっている、養ってやっていると思っている。

意識上では、親が子どもを世話し、食べさせるのは当たり前と思いつつ、恩着せがましい気持ちがあるのではないか。

そしてハッとした。

それってもしかしたら、私が育ってくる間に嫌だ嫌だと思って来た私の親の意識と同じじゃないか。

もう忘れかけていたが、私の両親は事あるごとに、食べさせてやっている、学校へ行かせてやっていると恩きせがましい態度だった。

そして、親の言うことを聞かなければこの家には居られないと子ども心に思っていた。

そのために、無理やり親の信じる宗教をやらされた苦悩の日々。

自分でご飯を食べられない限り嫌でも親の言うことを聞くしかなかった。

それは脅しであり、それを否定した私が結局同じことを娘に思っていた、していた。

まだそこが払拭しきれてなかったかと愕然とした。

親の影響は大きく、恐い。

親が自分にした嫌なこと、間違いを、私は自分の子どもにはしまいと思いつつやってしまった、これが無意識であり、私のコンプレックスである。

それはクライアントを分析して、何度も出会い知っていたはずなのに、自分の事となると盲目になり、自分が見えなかった。

もう捨てよう。

恩着せがましい気持ち、食べさせてやっている、世話してやっている、あんた達のために働いているという想いは。

私がしたくて選んだ精神分析、そしてそれを仕事にしたのだから、誰かのためにやっているのではない。

安心と安全=安らぎの中で何かの時には守ってもらえるという安全感もなく暮らした時間が長かったために、私は精神のバランスを崩していった。

そのために心に傷も負い、それらを癒すのに時間がかかった。

しかし今の私は、自分で安心と安全もつくれる。

子ども時代に得られなかったものを、大人となった今の自分として置き換えたもので埋め合わせていける。

これが大人である。

これでいい。

苦労も辛さも自分の糧となり、自分の生きてきた道を肯定できる。


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by lacan_msl | 2009-08-13 09:46 | Comments(0)
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