分析家の独り言 275 (子どもの主体性を大切にする)
これまでも娘とケーキを何度も一緒に作ってきた。

今度は「料理を教えて、一緒に作ろう」と言う。

料理本をみて、材料を一緒に買いに行く。

ああだ、こうだと言いながら、時には「結構いける」と喜んだり、「これは今一つだったね」「まあ何事も経験」と言ってみたり。

とにかく娘のペースに合わせて進めるため、すごく時間がかかる。

でも子どもはこんな風に、自分のやりたいようにやって、自分に合わせてもらえれば楽しいだろうなと思う。

自分のときはどうだったかと振り返る。

時間のない母に手伝わされ、メインは母がして私は洗い物や雑用。

あれでは料理を作ったという感覚さえ持てなかっただろう。

料理を手伝うのは嫌いだった。

家族のためにご飯を作ることが母親としての役目と思い作ってはきたが、途中までとてもしんどかった。

家事の中でも、料理が一番苦手というか、苦痛だったと思う。

なぜだろうと考えた。

おそらく母に一番手伝わされ、嫌々だった事だからではないか。

例えば女性が、そこそこの歳になって自分で家事をするようになる。

そのとき、料理・洗濯・掃除・片付けなどが、楽しい思い出としてその人の中にあったなら、その楽しい思いと共に家事をするだろう。

しかし、やりたくないのに無理やりやらされたりなどして、家事をすることに良いイメージ・思い出がないと、家事をしようとしたときその嫌なイメージがでてきて面倒くさい、やりたくないとなるだろう。

人は何を体験し、どういうイメージ・記憶を自分に残したか。

もちろん良いものを重ねられた人は幸せである。

料理を作るとき、「ああ、あの時母とこうして作って楽しかった」「美味しかったなぁ」と思えれば、料理は楽しいことで好きになるだろう。

そうすると、子どもに物事の得て不得手、好き嫌いを決めさせているのは、多分に親の対応によるところがあるのではないか。

子どもが自らしたくてすることと、親に言われてさせられるのでは大きな違いがある。

つまり、子どもの主体性を重んじることが大事。

子育ての場は、母親自身が育てられたことの再演の場となるようだ。

合わせる、待つとういうことが苦手な私が自分を知り、娘によって鍛えられ、ゆっくりしたテンポの娘に付き合えるようになったのは奇跡かもしれない(笑)。


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by lacan_msl | 2009-10-21 12:17 | 分析家の独り言 | Comments(0)
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