分析家の独り言 285 (無意識に気付く:価値を切り下げられ私)
私はバーゲンが大好きだということに気付いたことがあった。

もっと正確に言うと、もともと高価なもの(価値のあるもの、値段が高いもの)がプライスダウンされているものにひかれる。

例えばコートなど、もとの値段は何万もしていたものが、5割引、7割引になっていて、それが自分の気に入るデザインで手に入れたときに無上の喜びを感じていた。

そしてあるときふと思った、そのものこそ私だと。

私は私を、もともとは価値があったが、それを値引きされ、安く見積もられているという自己規定だった。

値引きされたその物こそ私だから、私に出会うために買い物に行ったようなもの。

そこには、今は低い価値を付けられているが、本当の私はもっと価値があったんだぞという想いがあった。

育ってくる過程で親に「ダメだ」「出来ない」と価値を切り下げられたために、いや私は本当はすごいんだ、えらいんだと言いたかったということ。

本来は、自分が欲しいもの、必要なものを探し、その物の値段が納得いくものなら人は買う。

ところが、私はまず値段の下がっているものを探していた。

それも無意識のうちに。

意識上は少しでも安いものを探して、家計の負担を少なくしようにと思っていたが、よくよく考えれば違っていた。


また以前天海有輝のセラピー日記 分析家の独り言167(こんにゃくだったクライアント)で書いたクライアントも同じだ。

切れ端のこんにゃくをビニール袋に入れて、ビニールテープで止め、「はい、100円です」と、こんにゃくを受け取るときモワモワっとした何とも言えない幸せな気持ちになったという。

普通なら捨てられてしまう商品価値のないこんにゃくに、(100円のこんにゃくとして)価値を与える人になりたかったというクライアント。


あるクライアントは、駅などに張られているポスターの端が少しめくれていると気になって、一駅一駅降りてはそのポスターが折れて見えない部分を直して見る。

この人にとって、このポスターの端が折れて見えないとことこそ自分自身なのだ。

そこに何が描かれいているのか、どんな色なのか見ずにはいられない。

そのために、一々電車を降りていたのでは、社会生活に支障がでる。


よくテレビなどで見る、ごみ屋敷というのも同じである。

ごみ屋敷の家主は、捨てられているごみが自分自身であるから放っておけず拾ってくる。

これらそれらその人の無意識による行動である。

それが、一般的には癖・傾向といわれる程度のものから、社会不適応に至るまである。

無意識に気付けば、自分で修正することができる。

私の場合でいえば、安く値踏みされ自己規定を書き換えて、自分の価値に対する自己イメージを一致させること。

それを分析を通してやってきた。

すると当然行動が変わる。

気付いて、受け入れれば一瞬のことである。

こんにゃくを買わずにはいられなかったクライアントは、不思議なくらいこんにゃくに気を止めることがなくなった。


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by lacan_msl | 2009-11-20 09:38 | 分析家の独り言 | Comments(0)
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