分析家の独り言 131 (変容・成長)
あるクライアントの語り。

これまで事あるごとに相手が悪いと思ってきた。

分析に触れるうち、相手が悪い、相手がおかしい、相手が、相手が…と思ってきたが、もしかするとそれは私の問題かもしれないと思いだしたという。

例え、相手が「悪かった」と謝ったとしても、それは自分を怒らせないためでしかないのでは。

相手を責めるのではなく、私は私と向き合うしかない。

相手は自分の思う通りの人間ではない、だから違って当たり前。

夫であろうと、自分の思うとおりには動かない。

自分が弱いからせめて夫くらい思い通りにしたい、自分を理解して欲しい。

自分の価値に合うから大事なのか?

合わなければ大事ではないのか?

自分に色に染めたいといのは、幼稚なこと。

自分と違う価値を持った人を尊重しようと思った。

また、何でそのことに腹がたつのだろう、それは相手に謝らせたい、そうしないと気がすまない自分がいる。

これを自分の問題だと受け止めたときに、自分のなかに変化がおきるのではないか、それを力に変えられる。

何か心にひっかかった時には、なぜ自分がそう思うのかを考える。

今までとは違う感覚の自分になった、私は私を生きていいんだ、という。

確かにクライアントは変わった。

多くは、人の一面を見て「真面目な人」だとか、「不真面目な人」だとか「面白い人」だとかレッテルを貼りたがる。

分析は、人は変容し得る、という視点にたってクライアントのそのとき、そのときを見る。

クライアントの変容と成長の過程を見られる、それもまた我々の喜びである。


ラカン精神科学研究所のホームページ
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by lacan_msl | 2008-08-21 22:59 | 分析家の独り言 | Comments(2)
Commented at 2008-08-25 12:51 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by lacan_msl at 2008-09-12 10:05
コメントいただきながら、今気づきました。失礼しました。
そうでしたか、東京で田村さんに分析を受けておられるのですね。
時間はかかっても、楽しめるようになりなります。
大丈夫です、頑張ってください。

「常識的に当たり前だろうということに外れた人、特にそれを自分に対してしてきた人を許すことができません。」 ・・・ ここで書いたこのクライアントもそうでした。
非常に常識的で、まじめな方です。
それがゆえに、子どもから「お母さんは校長先生だ」といわれました。
言っていることは、当たり前だし、常識的なこと。
しかし子どもが求めているのは、常識を不振りかざす母ではなく、少々外れても自分を認め、受け入れてくれる母。
そんなことを分析を通して理解し、オールOKに取り組み、子どもの問題が落ち着くと、今度は自分の問題に目が向いていきました。
そんな中で変化が見られた、その一つです。
ネバー・ギブアップ。
なりたい自分目指して、日々まい進!です。    宣照
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